このページは、宝塚アーティスト協会の生みの親・育ての親であり、2009年4月に志半ばで逝去された友谷米二郎氏の功績を、一人でも多くの方に知っていただきたく作成したものです。 宝塚アーティスト協会の設立のきっかけは、1998年の宝塚市音楽のまちづくり100人委員会での友谷氏との運命的な出会いでした。 自らもジャズピアニストであり、調律の職にあった友谷氏は、もっと多くの方に音楽を広めたいという熱い想いをお持ちであり、これに賛同した小林章前会長及び大塚現会長が、友谷氏と3人で2001年に立ち上げたのが、宝塚アーティスト協会の始まりでした。 その後友谷氏は、幅広い人脈を生かし、各方面から多くの称賛を得て、今日の宝塚アーティスト協会の礎を築き、その発展に寄与されました。 友谷氏は、2001年から病を患われましたが、8年以上に及ぶ闘病生活の中で、音楽活動を通してご自身も生きる活力を得、演奏を聴く方にも病気に打ち勝つ勇気と希望を与えたとして、数多くのメディアにも取り上げられました。 このページに掲載されている記事は、そのほんの一部ですが、友谷氏の功績を讃え、今後もその遺志を受け継ぎ、宝塚アーティスト協会をさらに発展させて参りたいとの思いから、ご紹介させていただきます。 |
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